国芳と芳年!浮世絵の発展に挑み続けた江戸の師弟
武者絵、怪奇画、動物画など幅広く制作し、そのユニークな構図や画風から「奇想の絵師」と呼ばれた浮世絵師・歌川国芳と、国芳の弟子であり、「最後の浮世絵師」かつ、衝撃的な無惨絵を残し「血まみれ芳年」と呼ばれた月岡芳年。
二人とも、斬新な構図や画風で話題を呼んだ幕末の浮世絵師です。
浮世絵の更なる可能性に、42歳差の師匠と弟子が挑みます!
幕末の浮世絵師弟・歌川国芳と月岡芳年
歌川国芳:「奇想の絵師」「武者絵の国芳」と呼ばれた個性派浮世絵師
幕末に活躍した浮世絵師・歌川国芳[1798 – 1861]は、「奇想の絵師」「武者絵の国芳」として知られています。
幼い頃から絵を学び、15歳の時に描いた絵が、当時華麗な役者絵で一世を風靡した花形浮世絵師・歌川豊国の目に留まり、門人となります。
「武者絵の国芳」として一斉を風靡しましたが、手掛けたジャンルは幅広く、西洋画の表現を取り入れた風景画や、かわいい猫の絵、さらには幕府の政治を揶揄する風刺画など、さまざまなジャンルで世間の関心を引き続けました。
月岡芳年:「最後の浮世絵師」かつ「血まみれ芳年」
月岡芳年[1839 – 1892]は、国芳の弟子でした。幕末から明治維新後の、浮世絵が需要を失いつつある時代に最も成功したために「最後の浮世絵師」と言われています。
国芳の門下生の中では最年少の世代でしたが、武者絵のジャンルで国芳の画風をしっかりと継承しています。
国芳と同じく、武者絵を中心に役者絵、美人画、歴史画など数多くのジャンルを手掛けました。その中で、あまり数は多くないものの無惨絵も制作し、それがあまりに衝撃的だったため「血まみれ芳年」の二つ名でも呼ばれるようになりました。
武者絵に挑む!
国芳が一人の門下生から有名浮世絵師になったきっかけは、「武者絵」という新しいジャンルを確立したためです。中国の英雄小説『水滸伝』のキャラクターを描いた「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」シリーズが人気となり、武者絵の第一人者となりました。そうして「武者絵の国芳」として知られるようになります。
弟子の芳年も武者絵を得意とし、歴史人物や、小説・歌舞伎などのキャラクターを集めた「芳年武者部類」シリーズを制作しています。
国芳の水滸伝
芳年の牛若丸
国芳:「水滸伝」のキャラクター「九紋龍史進(くもんりゅうししん)」
国芳が描いたのは、水滸伝のキャラクター「九紋龍史進(右)」。
悪役の山賊・陳達(左)をねじ伏せた場面です。
黒と赤で二重に描かれた輪郭線と、キッと睨みを効かせた表情が迫力のある作品です。
「九紋龍史進」の名の通り、9匹の竜の紋様が体全体に彫られています。
芳年:「芳年武者部類」より「源牛若丸・熊坂長範」
牛若丸こと源義経(右)と、盗賊の熊坂長範(くまさかちょうはん・左)の一騎討ちを描いています。
表現がアニメ的というかデフォルメというか、「戦闘の躍動感」をこれでもかと表現した構図が印象的です。極端なまでに腰をねじらせ、そり返った長範のポーズが迫力ある演出となっています。
師弟どちらの作品も、画面を斜めに断ち切るように描かれた薙刀などの武器が、さらに緊張感を与え、迫力のあるかっこいい構図になっています。
妖術使いに挑む!
国芳「相馬の古内裏」
言わずと知れた国芳の名作!通称「ガシャドクロ」とも呼ばれる「相馬の古内裏」。
平将門の死後、廃墟となった将門の家(=相馬の古内裏)での出来事を描いた作品です。
暗闇から、御簾を破って出現した巨大な骸骨が、相馬の古内裏に侵入した大宅太郎光圀に襲いかかります。
この巨大な骸骨を操るのは、平将門の孤児で、父の無念を晴らそうと暗躍する滝夜叉姫。
解剖学に基づくリアルな骨格は、国芳が西洋画や医学書の挿絵を参考に描いたためと言われています。
芳年:「袴垂保輔鬼童丸術競図(はかまだれやすすけ・きどうまる じゅつくらべのず)」
こちらは二人の妖術使いの決戦場面です。
描かれているのは、大蛇を召喚した袴垂保輔と、妖鳥を召喚した鬼童丸です。
こちらも師匠ゆずりの、複数枚の紙をつなげた構図で迫力のある絵に仕上げています。師匠のやり方をそのまま真似るのではなく、縦につなげて更なる新しさに挑戦する、芳年らしさが表れています。
屋根の上での決戦に挑む!
江戸時代に流行した小説「南総里見八犬伝」の名場面、芳流閣(ほうりゅうかく)での決闘を描いた作品です。
同じ題材でも、師匠・弟子とで違った面白さがあります。
国芳:「芳流閣上図」
法隆閣の屋根の上に逃げ込んだ犬塚信乃と、捕らえようとする犬飼見八。
全く歯が立たず、転げ落ちる追手(モブキャラ)たちも面白いです。
これも国芳の得意技・横に3枚綴りの迫力ある構図になっています。
芳年:「芳流閣両雄動」
芳年の得意な、縦に2枚連ねた構図です。
国芳の作品は転げ落ちるモブキャラたちによってコミカルな雰囲気もありますが、こちらは犬塚信乃と犬飼見八の二人だけを描き、より緊迫感を感じられる作品となっています。
かわいい!いつの時代も人気の「猫」に挑む!
ふわふわの毛並みに愛らしいしぐさ、猫はとても人気の動物です。私も日本画を好きになったきっかけは菱田春草の「黒き猫」ですし、このブログのアイコンも猫ですし、家でも猫を飼っています。
実は、猫は江戸時代にも人気でよく飼われていて、その頃から人気の動物だったそうです。
ここでは師弟の描いた猫を紹介します。
国芳①:「其のまま地口猫飼好五十三疋(そのままじぐち みゃうかいこう53ひき)」
言わずと知れた浮世絵の名作、歌川広重の「東海道五十三次」のパロディ作品です。
国芳は無類の猫好きとしても知られ、猫をたくさん飼っていたのに加え、猫の作品も多く制作しています。
「地口」とは語呂合わせのこと。東海道五十三次に描かれた名所に因んだ語呂合わせで、さまざまな猫が描かれています。
国芳②:「猫と遊ぶ娘」鏡に映った光景を描いた
国芳の「猫と遊ぶ娘」。
この絵の丸い枠は鏡の枠で、鏡に映った光景として描かれています。
鏡の前で猫にポーズを取らせて楽しそうな女の子と、あんまり乗り気でない猫の表情の差が面白いです。
芳年:「うるささう」猫の気持ち
題名に「うるささう」とある通り、猫を抱きしめてかわいがる女性と、「まぁ仕方がないか」という表情で、されるがままの猫を描いています。
ファッションに挑む!
国芳「国芳もやう正札附現金男 野晒悟助」
野晒悟助(のざらしごすけ)とは、1ヶ月のうち前半は僧侶のように穏やかに過ごし、後半は強きを挫き、弱きを助けたという人物です。野晒模様の着物を身につけていたとされます。
「野晒」とは、野に放置されたしゃれこうべのこと。けれどもよく見ると、猫が集まってできた国芳オリジナルのデザインとなっています。
芳年:「東京自慢十二ヶ月」より「六月 入谷の朝顔 新ばし 福助」
芳年が描いたのは、新橋の芸者・福助という人物です。入谷の朝顔市を訪れて、目移りしながら楽しそうに朝顔を選んでいます。
紫色の着物には、首輪をつけたさまざまな種類の猫たちが描かれています。