映画「HOKUSAI」登場作品をだいたい紹介!【浮世絵】
映画「HOKUSAI」観てきました!感想はこちらです☺️
この記事では、映画HOKUSAIに登場した浮世絵作品を紹介していきたいと思います。
ネタバレになり得ますので、映画観賞後に読むことをお勧めします。
歌麿先生の美人画
え、映画「HOKUSAI」なのにいきなり喜多川歌麿?!って感じかもしれませんが、
映画の序盤は玉木宏さん演じる歌麿先生が活躍(絵の評判的に)されていたので、歌麿先生の作品から紹介したいと思います。
ポッピンを吹く女
映画の最初で、蔦屋が政府に弾圧され、店を壊されたり従業員が斬られたり、作品を燃やされてしまった後、店を復旧するシーンで登場します。
汚れて血飛沫が飛んでしまってもなお、色褪せないこの作品。店主の蔦屋重三郎(阿部寛さん)も思わず、「さすが歌麿先生だ。こんな状態になってもなお色褪せない」という感じのことを言っていました。
襟粧い
遊郭で麻雪を写生していたシーンで登場します。
後ろ姿を描き、顔は鏡に映す構図の取り方は、さすが歌麿先生!と思いました。
謎多き天才、写楽の役者絵シリーズ
作中では、謎多き天才絵師・東洲斎写楽の役者絵シリーズが何枚も登場します。蔦屋の店先にもたくさん並び、人々が我先にと押し寄せていました。
ここでは、その中でも有名なものを紹介します。
なお、ここで紹介するのはすべて1794(寛政6)年、一気に出版された作品です。
市川鰕蔵の竹村定之進(さだのしん)
「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」の登場人物です。
絵のモデルは、市川鰕蔵(五代目市川団十郎)で、当時50代。当時の江戸歌舞伎の大スターでした。
三代目瀬川菊之丞の田辺文蔵妻おしづ
「花菖蒲文禄蘇我(はなしょうぶ・ぶんろくそが)」より。
三代目瀬川菊之丞は、その美貌により当時1番の人気を誇った女方役者でした。
大谷鬼次の奴江戸兵衛
これこれ!写楽といえばこの作品を思い浮かべるのではないでしょうか。
映画の中でこの作品は、蔦屋重三郎の前で描いていたものです。絵を描く姿勢や筆の持ち方が独特で、師匠を持たず自己流で描いた写楽らしいシーンでした。
絵のモデルは、歌舞伎役者・大谷鬼次が演じた江戸兵衛という役です。絵が出版されたのと同じ年、1794(寛政6年)5月に上演された「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」に出てくる悪役です。
背景は雲母(きら)摺りという技法を使っています。雲母の粉を使用して、キラキラ光沢のある贅沢な仕上がりになります。中でも黒雲母は高級品でした。
作中では、写楽の絵に惚れ込んだ蔦屋重三郎が「一度見たら忘れない作品にしたい…雲母(きら)だ!」といい、無口で感情をあまり出さない写楽も少し嬉しそうに頬をほころばせていました。
他の絵師が描いたらどうなる…?
同じ場面を別の絵師が描いた作品もあります。こちらも同じ年、1794に出版された作品です。
初代歌川豊国が書いたもので、「役者舞台之姿絵 まさつや」といいます。
顔や衣装など、確かに同じ人だ!とは思うものの、写楽とは違う視点で役者を描いています。
写楽の作品は一瞬ピタッと固まったような緊迫感を演出していますが、こちらでは手足の広がりや指先の形から、なめらかで動きのある構図となっています。
たくさんあるよ!葛飾北斎の作品たち
いよいよ主人公、北斎の作品を紹介します。
なるべく出てきた順に紹介しようと思います。
勝川春朗時代の作品「瀬川菊之丞の図」
「春朗ですよ、前にうちでも描いてた!」のシーンで登場したのが、確かこの作品だったと思います。
勝川春朗時代の作品「瀬川菊之丞の図」。
北斎の最初の作品と言われています。
「勝川」は当時の絵の師匠の名前です。デビュー時は師匠の勝川春章にちなんで「勝川春朗」を名乗っていました。ちなみに北斎が改号(画家としての名前の変更)した回数は30回だったそうです。
北斎の美人画「風流無くてなヽくせ遠眼鏡」
遊郭での歌麿先生に触発され、ライバル心満開で美人画を描き、蔦屋に持っていったシーンです。
そっくり同じ構図ではありませんでしたが、同じポーズで遠眼鏡を覗く女性の作品がありました。
晩年の作品への伏線!初期の波の絵
「江島春望」という作品です。これは1792(寛政9)年、北斎が33歳の時に描いたもので、波を描いた最も初期の作品です。
動きのある波の表現は、晩年の代表作への伏線です。
映画では、旅から帰った北斎が蔦屋重三郎にこの絵を見せた後、「心のままに、描きたいものを描いた」と話していました。映画ではこの時から「北斎」の号を称しています。
ちなみにこのシーンで北斎が言っていた、名前を「北極星にちなんでつけた」について調べたところ、史実のようです!
江戸時代の天文学がどれくらい進んでいたのかも気になりますね。
若き北斎と波について
北斎は30代頃から波に惹かれ、なんとか絵に表そうと試みていました。
「江島春望」の後に描いたものがこちら。
「賀奈川沖本杢之図(かながわおきほんもくのず)」です。1804-07年頃、北斎が40代半ば頃に描いた作品です。
本牧(ほんもく)の岬(神奈川県横浜市)は、江戸時代の交通の要所で、多くの船が行き来していました。
続いてこちらは「おしおくりはとうつうせんのづ」。
こちらも1804-07年に描かれたものです。少しずつですがだんだんと、ダイナミックなあの作品に近くなってきました。
「北斎ブルー」と呼ばれたベロ藍
映画では、北斎が新しく仕入れた青い絵の具を浴びて喜ぶシーンがあります。
この絵の具は「プルシアンブルー(ベロ藍)」と呼ばれる人工顔料で、江戸時代にドイツから日本へ輸入されたものです。
神奈川沖浪裏(富嶽三十六景)
言わずと知れた北斎の代表作。とても有名な絵ですが、描いたのはなんと72歳の頃というから驚きです。
北斎は若い頃から波の絵を描き、研究していました。圧巻の集大成です。
映画で、版画職人さん達が彫ったり摺ったりしていたのはこの作品です。
凱風快晴(富嶽三十六景)
こちらも富嶽三十六景の中の一つ。
映画では、北斎が旅の最中、真っ赤に染まる富士に感動するシーンが描かれています。
大きな木が印象的!甲州三嶌越(こうしゅうみしまごえ)
三島越は、山梨と静岡の境にある籠坂峠を越えるあたりだと言われています。
映画では、北斎が大きな木を見上げて感動するシーンがありました。
馬で旅する武州千住
富嶽三十六景より「武州千住」という作品です。
武州千住は、江戸時代の宿場町で農村地帯でした。
馬の後ろに描かれているのは、田んぼや畑に引くにずの量を調節するための水門です。
映画では、北斎が旅をしている時、馬を連れた人々の道中が映し出されたシーンがありました。
北斎漫画「風」
突風に戸惑う江戸の人々を見て、爆笑しながら描いていました。
強風に煽られる人々の表現は、富嶽三十六景の中の作品「駿州江尻」にも見られます。
「怒涛図」2対の波の画(肉筆画)
北斎83歳の時の作品。信州小布施の上町祭屋台天井絵です。
映画ではこの2対をそれぞれ晩年の北斎と、若き日の北斎の2人で描きあげる演出でした。
参考リンク:信州小布施 北斎館 公式サイト