【日本画】これで今日から日本画ツウ?!人気の琳派・狩野派の特徴や違いを解説!
「日本画」といっても、実は流派があります。
この記事では、その中でも特に有名で人気の高い「琳派」「狩野派」それぞれの特徴や違いを解説します。
どちらも毎年何かしらのイベントや展覧会を開催しているので、これを知ったら一気に日本画を見るのが楽しくなると思います!
同じ内容を動画でも解説しているので、よかったら見てみてください。
日本画の中で最も大きな流派:琳派と狩野派
琳派・狩野派はどちらも日本画の流派です。
共通点はどちらも400年続いたことですが、その存続スタイルは全然違います。
狩野派:型を重んじる由緒正しき血族集団
狩野派とは、室町〜江戸にかけて約400年間続いた日本画の流派です。
狩野派の最大の特徴は、血縁関係で結ばれた集団であるということです。
狩野派は、狩野正信という足利幕府の専属の絵師から始まります。
二代目、正信の子の狩野元信は、画業だけでなく弟子たちの教育にも力を入れ、「粉本(ふんぽん)」と呼ばれる、絵を描く際のお手本を作りました。
これが後に400年続く巨大な流派の基礎となります。
狩野派を400年続く流派に導いた「粉本(ふんぽん)」
狩野元信が作ったシステム「粉本」。
狩野派が400年も続くことができたのは、この粉本のおかげです。
狩野派に属する絵師たちは、この粉本を模写して作画をしたり、絵の勉強をする必要がありました。
そのために狩野派はつまらない、と言われてしまうこともあったそうですが、流派の一貫性と後続の絵師の育成に重要な役割を果たしたのも事実です。
狩野派の考え方:最優先は「流派存続」
狩野派の画家たちは、粉本をもとに、狩野派らしい、統一感のある作品を目指します。
狩野派では「流派存続」を第一に掲げ、画家自身の個性よりも「狩野派らしさ」を出せることにこだわりました。そのため、あまりにも個性の強すぎる絵師は破門されてしまうこともあったそうです。
そのように厳格な姿勢を貫いていたので、絵の構成も豪華で格式の高いものが多く、将軍家や武家を中心に全国で高い人気を得ていました。
狩野派で有名な作品
狩野派4代目、狩野永徳の「唐獅子図屏風(からじしずびょうぶ)」。
これが狩野派で1番有名な絵だと思います。
狩野永徳は狩野派らしさを開花した画家でもあります。
獅子はライオンを下にした空想上の動物ですが、権威や権力の象徴とされ、壁画や屏風(びょうぶ)の題材として好まれました。
琳派:いつの間にか流派を形成!
琳派も同じく約400年続いた流派ですが、琳派の方が100年ほど遅く始まり、近代まで続いていきます。
琳派の絵師たちは自分たちが琳派である自覚はなかった?!
実は「琳派」という呼び方ができたのは、1970年代になってからなので驚きです。
絵師たちがめいめいに、自分の尊敬する画家の作品に影響を受けた作品を描いていくうちに、気がつけば一つの流派を形成していきました。
そのため狩野派のように厳しい描き方の規則などもなく、どこかユーモラスで親しみやすい作品が多いです。
100年前の絵師が師匠?琳派の最大の特徴「私淑(ししゅく)」
琳派の最大の特徴に、直接の師匠を持たない「私淑(ししゅく)」というものがあります。
私淑とは、師匠から直接教わるのではなく、自分の好きな画家の作品を研究し、それに近い作品を作っていく、という絵の勉強法です。
琳派は、桃山時代の終わり〜江戸にかけて活躍した、本阿弥光悦・俵屋宗達という2人の絵師によって始まります。
彼らの作品を100年後に見た尾形光琳が、その影響を受けて自分の作品を描き、その100年後、光琳の作品を見た酒井抱一がそれに影響された作品を描く、といった形で琳派は受け継がれていきました。
琳派の有名な作品
琳派で有名なのが、俵屋宗達(たわらやそうたつ)の風神雷神図です。
ぱっと見では狩野派とあまり変わらないようにも見えますが、雲の描き方に違いがあります。
風神雷神の方では、雲がぼんやり・ふんわりとぼかして描かれていますが、唐獅子の雲は輪郭線がくっきりと描かれています。
琳派では絵の具をぼかす技法をよく使うようになっていきますが、中でも中村芳中の「光琳画譜」でその特徴が顕著なので、ぜひ見てみてください。
狩野派・琳派それぞれの違い
日本画の歴史に大きな影響を与え、どちらも400年続いた狩野派と琳派。
最後にそれぞれの違いをまとめます。
狩野派
- 血縁集団である
- 流派存続を第一
- 粉本が基本
- 幕府御用達
琳派
- 私淑で継承
- 気づいたら流派になっていた
- 画家自身の個性が強い