明治時代にも浮世絵は作られていた!明治の錦絵を紹介!

浮世絵というと江戸のイメージですが、実は明治時代にも浮世絵は作られていました。

特に、多色刷りのカラフルな浮世絵のことを錦絵と言います。

ここでは、錦絵から見た文明開花の様子を紹介したいと思います。

錦絵って?

錦絵とは、多色摺りの浮世絵のことを言います。

浮世絵は、元々は墨一色のモノクロでしたが、時代とともに版画技術の向上によって使える色の数が増えていきます。

カラフルな錦絵が登場したのは江戸時代中期頃で、明治末期頃まで続きました。

明治錦絵の特徴

  • ジャーナリズムの役割を持つ
  • 技術的なレベルは歴代最高水準(彫りの細かさと色づかいがすごい)
  • 西洋化の様子を描いた作品も多数

錦絵とジャーナリズム

江戸時代、錦絵は娯楽品でしたが、明治の錦絵はジャーナリズムの役割を持っていました。

これは明治の錦絵の最大の特徴です。

江戸時代の浮世絵には幕府による規制があり、幕府を批判する内容、風紀を乱すもの、色数や技巧の面で贅沢すぎるものを作った場合は処罰の対象となりました。

しかし、時代は変わり、明治政府の新出版法令により江戸時代の規制は廃止されます。

ここから、明治の錦絵は文明開花の様子を伝えたり、世間のスキャンダルを取り扱う、ジャーナリズムの要素を持つようになりました。

明治の浮世絵に描かれた題材

錦絵新聞・明治のスキャンダル

錦絵新聞とは「東京日日新聞」という新聞記事の一部を錦絵にしたもので、ほとんどが明治7年(1874年)〜明治14年(1881年)のごく短い期間に発行されていました。

取り上げる題材は主にスキャンダルや珍しい出来事などで、今の新聞で言う3面記事、社会面が主でした。

例えばこちらは、力士が火消しをしているところです。

火消しは本来、力士の仕事ではありませんが、電柱に引火しそうになっため、力士たちが水を運んだり建物を壊して火の手を止め、電柱を守った時のことが描かれています。

当時、電柱は最先端の技術でとても貴重だったため、力士たちも必死で守ったのだと思われます。

《東京日日新聞 百十一号》落合芳幾

横浜絵

横浜の繁栄や、珍しい煉瓦造りの建物、そこで暮らす外国人の様子を描いたものです。

1859年、横浜を拠点とし、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダとの貿易が始まります。

煉瓦造りの領事館や外国人居留地ができていき、異国情緒漂う港町に発展していく横浜は、文明開花の象徴でした。

歌川貞秀「神名川横浜新開港図」です。港ができたことにより、横浜は活気のある街となりました。

《神名川横浜新開港図》歌川(五雲亭)貞秀

こちらは落合芳幾(おちあいよしいく)「横浜英吉利商館繁栄図」です。

横浜開港後、1番最初に来日したイギリス商館「ジャーディン・マセソン商会」の様子を描いたものです。

棚に並んでいるのは、舶来ものの陶器です。珍しい品々に、賑わう日本人、イギリス人たちの様子が伝わってきます。

《横浜英吉利商館繁栄図》落合芳幾

開化絵:人々の暮らしの変化と発展

明治維新後、人々の暮らしは目まぐるしく変わっていきました。

こうした時代の変化の様子を描いた錦絵を「開化絵」と言います。

例えば鉄道です。

明治5(1872)年、横浜〜新橋間で日本初の鉄道が開通しました。

当時、蒸気機関車は「陸蒸気(おかじょうき)」と呼ばれ、沿線は列車を見にきた人々で溢れかえったと言います。

こちらは汐留駅で蒸気機関車を待つ人々の様子です。

文明開花の時代らしく、着ているものも和服、洋服、髪型もザンギリ頭にちょんまげ頭とさまざまです。

《東京汐留鉄道舘蒸汽車待合之図》立斎広重

江戸を懐かしむ

近代化・西洋化を歓迎する一方で、江戸の生活や風習を懐かしむ声も上がりました。

こちらは楊洲周延(ようしゅう ちかのぶ)の「江戸風俗十二ヶ月の内 二月 初午稲荷祭之図」です。

初午祭は2月の最初の午の日に行われる伝統的なお祭りです。お囃子の音や掛け声が今にも聞こえてきそうな、活気のある生き生きとした情景が伝わってきます。 

《江戸風俗十二ヶ月の内 二月 初午稲荷祭之図》楊洲周延

新時代を象徴する"赤と紫"

明治時代の錦絵は、鮮やかな赤と紫が特徴です。

新しく輸入された「アニリン染料」という合成染料で、安くて発色が良いためブームとなりました。

少し毒々しい感じもしますが、新時代の幕開けらしい勢いが感じられ、この時代に合っていると思います。

光線画・西洋画から学んだ光と影の表現

明治期に登場した新しい浮世絵のジャンルに、光線画があります。

小林清親(こばやしきよちか)が始めた新しい名所絵、風景画で、今までの浮世絵にはない、光と影を効果的に用いた演出や、奥行きのある画面構成、写実的な表現が特徴です。

明治期特有の派手な色彩とは対照的に、文明開化の波に晒され江戸から東京に移りゆく都市景観を、ノスタルジックに表現しています。

《日本橋夜》小林清親

戦争絵

幕末〜明治にかけて描かれた浮世絵で、戊辰戦争や西南戦争、日清戦争、日露戦争などを題材としています。

こちらの作品は、日清戦争の黄海海戦(こうかいかいせん)の様子です。

題材は戦争ですが、悲惨な様子はなく、見る者を奮い立たせる迫力や、むしろ戦場風景を美しく表現したかった様子が伝わってきます。

黄海海戦 小林清親

ちなみに、日清戦争が起きたのは明治27年、日露戦争は37年ですが、この頃の戦争絵が最後のブームとなり、錦絵は次第に姿を消していきました。

その影には、西洋から伝わった印刷技術や、写真の普及があります。

明治の始まり〜20年代にかけて、活版や石版など西洋の印刷技術が続々と日本へ伝わって実用化され、大量印刷が可能になります。それに伴い、錦絵はスピードの面でも価格の面でも追いつけなくなり、次第に減っていき、明治40年頃になると、もうほとんど見かけなくなってしまったそうです。

しかし、近代以降、芸術品としての価値が高まり、再びブームになりました。

そして今に至る。

です!

浮世絵師たちが描いた明治の風俗

河出書房新社 (2018/6/23)

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浮世絵

Posted by Yuhomyan