父親譲りの天才肌!北斎の娘・葛飾応為のすごさと型破りな代表作を紹介

日本画・浮世絵

日本を代表する浮世絵師として有名な葛飾北斎!

2021年5月には映画も公開されました。

実は、あまり表には出ませんが、北斎の娘・応為も北斎に並ぶ、類稀なる絵の才能を持っていたのです。

とういことで、この記事では謎多き天才絵師・葛飾応為について紹介します!

北斎のむすめ葛飾応為(お栄)ってどんな人?

葛飾応為(生没年不詳)は、江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎の三女として生まれました。

「応為」は雅号(画家としてのペンネーム)で、名は栄(えい)と言い、お栄(おえい、阿栄、應栄とも)、栄女(えいじょ)とも記されています。

応為は絵師の南沢等明(みなみざわとうめい)に嫁ぎますが、父譲りの画才と思ったことをハッキリ言う性格から等明の描いた絵のつたなさを笑い、離縁されてしまいます。

実家に出戻った応為は、アシスタントとして父の画業を助け、また北斎が亡くなる最期まで面倒を見ていたといいます。

ペンネーム「応為」の由来

「応為」の雅号の由来は諸説あります。

一つは北斎が娘を「オーイオーイ」と呼んでいだので、それをそのまま号とした説、もしくは逆に応為が北斎を「オーイ、オーイ親父ドノ」と呼んでいたからという説、あるいは60代の頃の北斎の雅号の一つ「為一(いいつ)」にあやかり、「為一に応ずる」の意を込めて「応為」としたとする説もあります。

絵の性能も性格も北斎譲り、だけどかわいい一面も

応為の性格は、父の北斎に似た面が多く、衣食の貧しさを苦にすることはありませんでした。

絵の他にも、占いに凝ってみたり、生薬の一種・茯苓(ぶくりょう)を飲んで女仙人になることに憧れてみたり、自作の小さな豆人形を売って小遣いを稼いだこともあったという、お茶目でかわいいエピソードもあります。

自分の及ばなさを嘆く時が上達する時

北斎の弟子・露木為一(つゆき いいつ)によると、為一が「先生に入門して長く画を書いているが、まだうまく描けない」と嘆いていると、応為が笑って

「おやじなんて子供の時から80幾つになるまで毎日描いているけれど、この前なんか腕組みしたかと思うと、猫一匹すら描けねえと、涙ながして嘆いてるんだ。何事も自分が及ばないといやになる時が上達する時なんだ」

と言い、そばで聞いていた北斎も「まったくその通り、まったくその通り」と賛同したそうです。

葛飾応為の代表作「吉原格子先之図」に見る日本版「光と影の魔術師」

現存する作品は十数点と非常に少ないですが、日本画には珍しい光と影の表現と、細密描写に優れた肉筆画が残っています。

《吉原格子先之図》

吉原遊廓の妓楼(ぎろう=遊女屋)・和泉屋で、花魁たちが往来に面して居並び、格子の内側から自分の姿を見せて客を待つ「張見世」の様子を描いたものです。店や客が持った複数の提灯から生まれる幻想的な光と影が、見る人に強い印象を与えます。

「神奈川沖浪裏」から、北斎は観察眼に優れていたと言われますが、格子の部分の光の当たり方など、応為の目も相当だったと思います。光と影の写実性と、人物の日本画らしい表現が合わさって幻想的な作品です。

当時の日本にはかなり珍しい、この陰影を強調した表現は、「レンブラントのようだ」と評されることもあります。

レンブラントは「光と影の魔術師」と呼ばれた17世紀オランダの画家で、有名な作品に《夜警》(1642年)があります。

レンブラント《夜警》1642年

「春夜美人図(夜桜美人図)」

こちらももう一つ、応為の光と影の表現力の高さが伝わる作品です。

絹の布に描いた肉筆浮世絵で、元禄時代の女流歌人・秋色女(しゅうしきじょ)がモデルだと考えられています。

落款(サイン)はありませんが、女性の描き方や、明暗の付け方、灯籠などの描写から、応為の作品であるとほぼ認められています。

注目したいのが、大小の灯籠の光の強さの違いと星空です。

顔の近くの大きな灯籠と、足元を照らす小さな灯籠で、光の強さによる照らし方の違い、またそれによってできる影の違いを、光源からの距離や位置を考慮し忠実に描き分けています。

また星空の表現も個性的です。

浮世絵の夜空は月がメインで星を強調することはあまりありませんが、満点の星がきらめく明るい夜空を写実的に表現しています。

「月下砧打美人図(げっか きぬたうち びじんず)」

応為の作品の中でも、比較的初期のものと考えられる作品。

人物は浮世絵風ですが、布の硬さの描き分けや木目の表現に、後の写実性の予感を感じられます。

満月に照らされ女性が砧(きぬた)を打つ場面。砧は洗濯物を柔らかくする道具です。

月夜に砧を打つ図は中国の詩「聞夜砧」に由来し、夫を思いながら砧を打つ妻の愛情のモチーフとなっています。

代表作「三曲合奏図」

「琴・三味線・胡弓(または尺八だが浮世絵ではほとんど胡弓が描かれることが多い)による合奏」を意味し、浮世絵のテーマとしてはわりとメジャーな題材です。

中央の遊女が琴、右側の芸者が三味線、左側の町娘が胡弓をと、身分が異なる女性が一緒に合奏する、現実には考えられない場面が描かれています。

着物の色やデザインに加え、独創的なテーマ選びやバランスのとれた構図から、応為のセンスと画力の高さが伺えます。

代表作「関羽割臂図(かんうかっぴず)」

関羽割臂図

「三国志」の一場面を描いており、現在知られる応為落款の作品の中では最も大きい作品です。

吉原格子先之図では西洋画のような陰影が見られましたが、こちらは中国画のような色使いや人物の顔の表現が見られます。北斎は西洋画や中国画を学んだこともあったと言いますから、娘の応為も影響を受けていたかもしれません。

右腕に毒矢を受けた関羽を、名医・華陀(かだ)が小刀で骨に付いた毒を削り取って治療しているところです。

治療の内容が「腕を切って肉を割き、骨に付いた毒を削り取り、薬を塗って最後に縫合する」痛さも見た目にも辛いものだったため、医師の華陀は腕を柱に固定し、顔を布で覆うことを提案します。

しかし関羽は、「なんだそれだけのことか、柱はいらん。存分にやってくれ」と提案を断り、酒を飲み、碁を打ちながら平然と治療を受けていたそうです。

この作品でも、配下たちは皆あまりの痛々しさに目を背けていますが、関羽はしっかりと腕を差し出し、余裕の笑みとも痛みを堪えているともつかない表情をしています。