国宝・風神雷神を描いた天才画家!俵屋宗達の代表作を紹介!
誰もが知る有名な屏風絵、風神雷神!
安土桃山後期〜江戸時代初期の日本画家・俵屋宗達という人が描きました。
今日でも人気の高い日本画の流派「琳派」を作ったすごい人なんですよ!
当時の美術界に新しい風を吹き込んだ人物で、風神雷神以外にも素敵な作品を多数制作しています。
この記事では、そんな俵屋宗達の代表作を紹介していきます!
俵屋宗達ってどんな人?宗達様式ってどんなの?
俵屋宗達は安土桃山後期〜江戸時代初期(16世紀後半〜17世紀前半)に活躍した京都の絵師で、日本を代表する装飾画の巨匠と言われています。その一方で、詳しい生没年や生涯など、未だ分かっていないことも多いです。
伝統を蘇らせた宗達様式
俵屋宗達のすごいところは、伝統をもとにした新しい様式で、伝統の魅力を世間に気づかせたことにあります。
当時の情勢としては、武家社会で芸術も時の権力者と結びつき、力を示すような豪華絢爛な作風が好まれていました。
そんな中、俵屋宗達は京都の公家や裕福な町人を対象に、日本の伝統的な文様や、平安時代の絵巻に描かれた題材など、やまと絵の伝統を取り入れたり、自然や身の回りのものに目を向けた、丸みがあって、ダイナミックでも優しい画を描き、新しい芸術の流れを作りました。
宗達の画は新しくはあるものの、奇想や個性派ではなく、今まであったものの良さを気づかせる、伝統の魅力を蘇らせる、そういうタイプの新しさでした。
平家納経
宗達の最も初期の頃の作品です。
平家納経とは平安時代の末、平清盛が一門の反映を願って厳島神社に奉納した経巻です。
安土桃山時代末、戦国大名の福島正則が願主となって一部を修復しました。その際に宗達も修復メンバーに入っており、見返し絵3巻を新写修補しました。
風神雷神図と屏風絵
風神雷神図があまりにも有名ですが、他にも屏風絵をたくさん制作しています。
風神雷神図屏風
国宝にも指定されている宗達の代表作「風神雷神図屏風」。
屏風として立てて使うと、風神と雷神の視線が交差する、工夫を凝らした作品です。
雲の部分は宗達が考案した技法「たらしこみ」が使用されています。
絵の具が乾く前に水でぼかすことによって、柔らかく軽やかな雲の質感が表現されています。
現代の身近なもので例えると「たらしこみネイル」と一緒です。アクリル絵の具を水でぼかしたり、薄めたジェルネイルをぼかしたりするのと同じ技法で描かれています。琳派400年の歴史がこうして現代にも生きていると思うと、嬉しくなってきますね。
この絵は後に尾形光琳や酒井抱一が模写をし、「琳派」として受け継がれていきました。
松島図屏風
これは個人的に宗達作品の中で1番好き!
残念なことに現在は国内になく、アメリカのフリーア美術館というところが所蔵しているそうです。
金屏風に色とりどりの風景を描いた、華やかな作品です。
波は山形、渦巻状、しぶき状と3種類の描かれ方をしており、島の周りはしぶきが多い、波同士がぶつかりあってところは渦ができるなどよく観察して描かれています。
左側の雲(?)の部分にもたらし込みが使われています。
ダイナミックながらも狩野派の迫力とはまた違った親しみやすさが感じられます。
この波の描き方は後世にも大きく影響を与え、日本的な波の描き方の定番となっていきました。
こちらも風神雷神図屏風と同様、尾形光琳が私淑をしています。
波の表現がそっくりですが、島の塗り方はより立体的になっています。
舞楽図屏風
舞楽は平安時代に栄えた舞で、近世に復活しました。
動きのあるポーズと構図で、まるで音楽が聞こえてくるかのようです。
人物やモチーフが点対称に配置され、絶妙なバランス感があります。
扇面散屏風(せんめんちらしびょうぶ)
金屏風の大画面に、1枚ずつ違う絵を描いた扇型の紙を貼って作られたものです。
扇に描かれたものは松や小鳥などの自然物や、戦国武将、平安時代の物語を題材としたものなど様々です。扇も開いたものと閉じたものがタイトル通り散らしてあり、リズミカルな構図です。
源氏物語関屋澪標図屏風
「源氏物語」の「関屋(せきや)」と「澪標(みおつくし)」の一場面を描いた屏風絵で、どちらも主人公の光源氏が昔の恋人に出会うシーンです。
「関屋」では逢坂の関で空蝉(うつせみ)と出会います。光源氏は右の牛車、空蝉は左の牛車にそれぞれ乗っています。曲線的な山の表現が綺麗ですね。ゆったりとした時間の流れが伝わってきます。
「澪標」では、牛車に乗って住吉神社を参拝した光源氏が、船に乗った明石の君と出会います。明石の君は、船中から光源氏のきらびやかな一行を見ると、自分との身分の差を痛感し、上陸せずに引き返してしまいました。
この頃、世間では戦国武将の力を示すような強い作風が流行していた中、古典の物語を題材に選んだところが、京都出身の宗達らしいです。
俵屋宗達×本阿弥光悦 画と書の融合
俵屋宗達と、同時代を代表する書家兼陶芸家・本阿弥光悦(1558〜1637)との共同作品はかなりの数にのぼります。
宗達が下絵を描き、上に光悦が書を書きました。
同時代の絵の達人と書の達人のコラボで、とってもすごい作品ができました。
ここではその中から特に有名なものを紹介します。
鶴下絵三十六歌仙和歌巻
光悦が和歌三十六首の書を担当し、宗達が鶴の画を担当しました。
ここで注目したいのが、同じような鶴の形がたくさん並んでいることです。
同じモチーフを違う間隔や高さで配置することにより、緩急がありながら統一感もある、面白い作品です。光悦の真っ直ぐ同じ幅できっちり並んだ文字と、お互いを引き立てあっています。
この、同じモチーフの繰り返しは、後に尾形光琳の「燕子花図屏風」などにも応用され、琳派の特徴の一つとして継承されていきます。
鹿下絵新古今集和歌巻(断簡)
宗達が鹿の群れを描いた上に、光悦が「新古今和歌集」の歌を描きました。
丸くデフォルメされていて、とてもかわいい鹿たちです。
鹿の上に塗られた絵の具は霞を表していますが、ここにもたらし込みが使われています。
宗達と伊年印
蔦の細道図屏風
画像だと小さくて見えませんが、この作品には「伊年」と印が押されています。
宗達は工房を主催していたと考えられており、「伊年印」は宗達ブランドの商標印です。
この作品「蔦の細道図屏風」は、宗達自身ではなく、工房の宗達に近い画力の持ち主が描いたとする説が強いです。
絵の題材は、古典作品「伊勢物語」第九段「業平東下り」です。
左遷された在原業平が、京都から武蔵国へ行く途中の、蔦が生い茂った細道が象徴的に描かれています。
人物や建物を描かず、植物や風景をデフォルメして描くことにより、工芸デザインのような作品になっています。このように、本物に似せるのではなく抽象化・デザイン化して描く発想は後世の絵師たちにも受け継がれ、後にジャポニズムとして海外にまで影響を与えるようになります。
最後に
今回は俵屋宗達の作品から特に好きなものを紹介いたしました。
宗達は本当に、既にあったものの良さを気付かせるのが上手だなーと思いました。
また、たらし込みなど宗達が考案した技法が現在も使われているのは喜ばしいことですね!