誰が好き?狩野派の代表的な絵師5人の作品を見比べてみた!
狩野派というと、室町〜江戸にかけて約400年ものあいだ日本の画壇に君臨し続けた、歴史上でも最大級の絵師集団です。
この記事では、狩野派の絵師たちの作品を見比べて、一体どんな作品があるのか、同じ狩野派でも誰の作品が好みかを発掘していこう!という記事です。
狩野派とは何か?
狩野派とは、室町〜江戸にかけて約400年間続いた日本画の流派です。
特徴は、血縁関係で結ばれた絵師集団であるということです。桃山時代に建築ブームが始まると、集団だからこその分業制によって大きな作品を手掛けられる狩野派は大活躍します。
金色を使った壮大で豪華絢爛な作品が多いです。
狩野永徳:狩野派を代表する天才絵師
有名な絵なので、ほとんどの人が写真を見たことがあるのではないでしょうか。
狩野永徳(えいとく)は狩野派らしさを開花した画家でもあります。
獅子はライオンを下にした空想上の動物ですが、権威や権力の象徴とされ、壁画や屏風(びょうぶ)の題材として好まれました。
狩野元信:狩野派の基礎を作った2代目
初代・狩野正信(まさのぶ)に始まった狩野派を大きく育てたのは、2代目・元信(もとのぶ)でした。
彼は「粉本(ふんぽん)」と呼ばれる、絵を描く際のお手本を作ります。絵師たちはそれをもとに描くことで、誰が描いても統一感のある、狩野派らしい作品に仕上げることができました。
このような大きな花鳥画は、やがて狩野派の得意分野となっていきます。
狩野内膳:日常風景や祭りの絵が得意
内膳(ないぜん)は永徳の父・狩野松栄(しょうえい)から絵を学びます。永徳と一緒に仕事をしていたこともありました。
また豊臣秀吉に仕えていた絵師でもあります。
永徳は豪快な作品が得意な一方で、内膳は町人の様子など日常風景を得意としていました。
狩野山楽:血族ではないけど実力でのし上がる!
山楽(さんらく)は永徳の弟子にあたります。もともとは狩野派の家系ではなく、武士の出身で秀吉に仕えていました。絵が上手く、秀吉の命で永徳の弟子となり、認められて狩野の姓をもらいます。
武士出身らしい、勇しくて迫力のある作品です。
狩野探幽:本家を圧倒した若き天才絵師
探幽(たんゆう)は永徳の孫にあたります。
線の強弱や、余白を効果的に使った作品が得意です。
4歳で画家として認められ、10歳で将軍徳川家康に謁見(えっけん)し、永徳の再来と賞賛されました。16歳で幕府の御用絵師となり、京都から江戸に移ります。それ以降、「江戸狩野」が本家の「京都狩野」を圧倒するようになりました。
教科書にも載っていた、徳川家康の肖像を描いた人物でもあります。
まとめ:狩野派は金色で壮大な作品がたくさん!
以上!
狩野派の中でも特に有名な絵師さん5名の作品を並べてみました!
同じ流派で基本は似ている中でも、それぞれの個性があって面白いですね!
今度は琳派の方も紹介していきたいと思います!