尾形光琳の超大作【紅白梅図屏風】がすごい!!
静岡県熱海市にあるMOA美術館が所蔵する、尾形光琳の超大作「紅白梅図屏風」について紹介します!
画面の真ん中に流れる大きな川、躍動感のある梅の枝、大胆な意匠が光る、尾形光琳の自信作!大迫力の作品です!
ちなみにMOA美術館は「エムオーエーびじゅつかん」と読み、創設者の岡田茂吉氏にちなんで「Mokichi Okada Association」の頭文字をとったものだそうです。
また、ちょうど、2023年1月27日よりMOA美術館でこの尾形光琳の紅白梅図屏風の展示が始まります!
3/14迄とのことなのでタイミングが合う方はぜひ行ってみてください。
見どころ①:川を流れる水の表現がすごい!
まず圧倒されるのが、中央に大きく描かれた川。左右の屏風にまたがっているのも面白いポイントです。
「観世水」と呼ばれる、渦を巻いたような紋様が川一面に描かれているのも、川の大きさと相まって迫力を一層際立てています。
末広がりに紅白の梅で縁起の良い感じがするのも、力強い構図とよく合っています。
見どころ②:左右に配置された梅の躍動感がすごい!
また面白いなと思ったのが、左右の梅の木に、跳ねるような躍動感があるところです。
梅の木って、確かに面白い形が多いけど、なかなかここまでの躍動感はない、でも見ると「あぁ〜こんな感じ」と納得してしまう、という意味ではディフォルメやマンガの表現にも近いものがあるのかな、なんて思ったり。
梅の木の幹は、絵の具をぼかす技法「たらしこみ」が使われており、はっきりとした川の紋様との対比が面白いなと思いました。
見どころ③:後に大人気!今なお愛される「光琳梅」
花びらを分けず、5枚の花弁をひとまとまりにする光琳特有の描き方は、後に「光琳梅」として流行しました。かわいい。
ただ、紅白梅図屏風では、蕾も多く見られます。
わかりやすいように、紅白梅図屏風の拡大図を載せておきますね。
見どころ④:未だ議論中!背景はどんな風に描かれたのか!
紅白梅図屏風がどのような技法で描かれたのかは、専門家の間でも未だに議論が続いています。
その議論の内容とは、「背景は金箔なのか金泥なのか」更に言えば「貼ったか描いたか」というものです。
ちなみに金箔とは金を叩いて薄く引き延ばしたもので、有名なものには金沢の金箔ソフトクリームなどがありますね。
対して金泥とは膠に金粉を溶いたもので、他の日本画の絵の具と同じく筆で塗って使用します。膠というのは日本画に使われる接着剤のようなものです。膠は動物の皮などから取れるゼラチン質を主成分とし、金粉など色のある粉と混ぜ合わせることによって日本画の絵の具の材料となります。
話を戻し、紅白梅図屏風の背景がどう描かれたかですが、ぱっと見は四角い金箔が貼ってあるように見えるのですが、四角い線も含め金泥で書いたのでは?という見解もあるようです。
東京文化財研究所によるX線を用いた2003年の調査では、金箔を貼ったのではなく、金泥を使って描き、金箔の継ぎ目をわざわざ描き出していた可能性が指摘されたそうです。
それに対し、MOA美術館による2011年のX線調査では、やっぱりごく薄い金箔であったとの結果が出ており、未だに議論が続いているようです。
専門家の方々の頭を悩ませるこの背景がどんなものなのか、ぜひ、近くでよく見て確かめたいものです。
知って楽しい背景知識①:国宝!紅白梅図屏風!
この紅白梅図屏風、なんと、国宝です!
国宝とは重要文化財の中でもさらに価値の高いもので、指定されるには審議会での満場一致が必要という超狭き門なのです。
詳しくいうと、文化財保護法によれば「日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財(重要文化財)のうち、世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるものであるとして国が指定したもの」を国宝と言います。
国宝は重要文化財の中から選ばれるので、国宝に指定されるにはまず重要文化財に選ばれなければならず、さらには文化庁の文化審議会を通さなければなりません。
文化審議会の中でもさらに専門分野に分かれ、それぞれ指定の可否を検討しますが、ここで1人でも反対があれば、国宝に指定されることはありません。
現在、令和5年1月1日のデータでは国宝として指定されている文化財の数は1132件あります。1,000件を超えているので多いような気もしますが、重要文化財は13,377件あるので、国宝はその中の1割以下に過ぎません。実はかなり狭き門なのです。
※出典:文化財指定等の件数(文化庁)
知って楽しい背景知識②:作者の尾形光琳とは!京都老舗呉服商のボンボン!
作者の尾形光琳は江戸時代中期の代表的な日本画家で、京都の大きな老舗の呉服商、雁金屋の次男として生まれます。裕福な環境で、幼少の頃より能や書画、古典文学などの芸術にふれて育ちました。
しかし、彼が30歳の頃、父を亡くし遺産を相続したものの、浪費と時代の変化で家業が傾き、経営難による収入を補うための最後の選択肢として絵を志したようです。
画の道に進んだのは遅いながらも、幼少期から培った教養や呉服の意匠、都会的なセンスで瞬く間に絵師として目覚ましい活躍をします。
実は今も人気の「琳派」という流派名も、光琳の琳から名付けられています。
ちなみに、尾形光琳の作品では同じく国宝で根津美術館所蔵の《燕子花図屏風》も有名です。
言われてみればどちらも、着物のようなデザイン性が感じられますね。